Lady Green's Diary

英語講師Lady Greenの日記

Bookclub: On Earth We're Briefly Gorgeous

今年2度目のオンラインブッククラブに参加してきました。前回は私がオーガナイザーということで結構緊張しての参加でしたが、今回は私が最近体調不良なのもあって参加できるかどうかが自信なく、オーガナイザーの役は辞退させてもらうことに。他のメンバーがZoomミーティングのホストになってくれて私は気楽に参加させてもらいました。


今回はスコットランドから参加したいという人もいて、時差の関係などもあってスタート時間が夜の10時。私は普段11時過ぎぐらいには寝てしまうので、夜遅いの苦手なんですよね。途中退室もオッケーということだったので、私は11時半頃に退出させてもらいました。同じく途中で眠くなって脱落したメンバーもいて、そのせいもあってか次回のブッククラブは9時スタートにしてくれるということ。ちょっとほっとしました。それなら何とかなりそう!


さて、今回の課題本ですが、ベトナムアメリカ人の詩人Ocean Vuongの自伝的小説。

 

On Earth We're Briefly Gorgeous: A Novel (English Edition)
 


母親に宛てた手紙といった形式で進んでいくのですが、これはある種のラブレターのようなものではないかという風にも感じました。彼は子供の頃母親から虐待を受けていたのですが、そんな母親に対する思い、そして薬物中毒で命を落とした恋人への想いが綴られていきます。ゲイであった彼が自身の体験についてかなり赤裸々に語っています。男性同士のラブストーリーを読むのは初めて、しかも性描写もしっかり描かれているので結構ショッキングでもありました。その点についてはブッククラブのメンバーからも、あそこまでの描写は必要であったのかと疑問視する意見もあり、また読んでいて不愉快だったという意見もありました。その点は色々と意見が分かれるところだろうとも思いますが、彼の心の葛藤や痛みを描き、自分のセクシャリティを受け入れていく過程を描くためにも必要なシーンだったのかなという風にも感じます。


ページ数はさほど多くないのですが内容的に読みにくい部分もあり決してサクサク読める本ではありませんでした。詩的な表現や比喩的な表現がたくさんあって、ストーリーで引っ張っていくというよりも表現の美しさを味わうような部分もあり、英語を母語としない私には読みづらくもありました。そして語られている体験も決してハッピーなものではなく、戦争の後遺症で苦しむ母親の姿、その母親からの暴力、そして薬物乱用で命を落とす初恋の男性との出会いと別れ、といった全体的に痛々しい内容。クラブのメンバーがpainfulという言葉を使っていましたが、参加したメンバーのほとんどがやはり読んでいてpainfulに感じたよう。ただ、一人だけ「この本の何が良いのかわからない」という意見があり、「すごく良かった」というメンバーの意見と真っ向から対立していたのも面白かったです。私はどちらかと言うとその中間的な立場で、良かったとも言えないし、何も得るものがないとも言えない。でも、多様な意見があるからこそブッククラブのディスカッションは面白いと言えるようにも思います。


母親との関係が痛々しいものである一方で、祖母との関係がとても暖かくちょっとした救いにもなっています。母親の暴力から身を挺して彼を守ろうとする祖母の姿が非常に印象的で心に残ります。祖母と彼との日常の何気ないエピソードがとても優しく温かく感じられ、私はふとTruman Capoteの『Chrismas Memory』を思い出しました。

 

A Christmas Memory (Book & CD)

A Christmas Memory (Book & CD)

  • 作者:Capote, Truman
  • 発売日: 2014/10/28
  • メディア: ハードカバー
 

 

Capoteの方は祖母と孫という関係ではなく、年の離れた友達のような関係なのですが、おばあちゃんと少年の間の絆、あたたかく流れる時間を描いているという点で何か通じるものを感じます。そしてどちらも悲しい結末を迎えます。今回読んだ作品でも、主人公と祖母との別れのシーンは、恋人との別れのシーンよりも悲しく、一番心に残った場面です。病気でだんだん弱っていく様子は読んでいて本当に切なくなりました。


決して読んでいて楽しい内容ではないし、読みやすい本でもないのですが、彼独特の世界があり、Amazonのレビューでもbeautifulという言葉を使っているものが多数ありました。ただそれを感じ取るには一定レベル以上の英語力も求められると思います。


ところで、私はKindleで読んでいていくつかハイライトした部分があります。ブッククラブのミーティングに参加する前に自分がハイライトした箇所を再確認してみたら、どれも「自由」について書かれた箇所でした。私にとってとても印象的で興味深い捉え方だったのです。以下に、ひとつ引用してみますね。

 

All freedom is relative―you know too well―and sometimes it’s no freedom at all, but simply the cage widening far away from you, the bars abstracted with distance but still there, as when they “free” wild animals into nature preserves only to contain them yet again by larger borders. But I took it anyway, that widening. Because sometimes not seeing the bars is enough.


私なりに日本語に訳してみます。和訳苦手なので拙いですが。


「あなたがよく知っている通り、自由とは全て相対的なもので、時にそれはちっとも自由ではなく、ただ檻が広くなっていってあなたから離れていっているに過ぎないこともある。格子は離れているけれどまだそこにある。それは、野生の動物を自然保護区に『解放』して、結局はより広い領域に再び閉じ込めるのと同じようなものだ。それでも僕はそれを、その檻の拡張を受け入れる。なぜなら時に、檻の格子が見えないということだけで十分なこともあるから。」


“abstracted with distance”の部分がよくわからず雰囲気で訳してしまいましたが、「自由」というものの捉え方が面白い。この他の部分の記述でも同じく、「本当の自由というものは存在しない」という彼の考え方が現れている。檻の中で許される自由は本当に完全な自由ではない。でも、実は人は皆、そんな風に制限のある中での自由しか与えられていないのかもしれない。その制限がどれだけきついか、つまりどれくらいの大きさの檻に入れられているかが違うだけ。そして、その檻の格子が目に入らなければ、私たちは「自由」を感じることが出来るのかもしれない。


でもその一方で、人は自分を自ら檻の中に閉じ込めていることもあるように思います。もしくは、檻には鍵がかけられていなくて、出ようと思えば自由に出ることが出来る。なのに、檻の中に留まることを自ら選んでいたりする。それはある意味で安全な場所、コンフォート・ゾーンであって、そこから飛び出すのが恐いのかもしれない。そんな話しをしてみたら、他のメンバーから、「それは面白い視点だね」と言われました。そんな風に、作品をきっかけに色々と考えることが出来たのは良かったかなと思います。


次のミーティングは来年になりますが、また色んな事を話し合えるのが楽しみです♪