Lady Green's Diary

英語講師Lady Greenの日記

パラダイムシフト

ついに緊急事態宣言が発令されましたね。とりあえず一か月ということですが、果たして本当に一か月で済むのかなぁとも思います。

私がお引き受けしている大学の講座は5月の中旬以降にスタート予定なので今のところは変更なし。しかしこの状態が続くようであれば、スタートを遅らせるかもしくは開催見送りとなるかといった感じです。担当者さんとはメールで色々とやり取りをしていますが、今後どうなるかが本当に見えない。どうなるかがわからないので、とりあえず仕事の打ち合わせも見合わせているところです。
 
私が引き受けているのは大学のエクステンション講座なので、オンラインのスタイルに切り替えるということは難しい。一方で、大学の通常授業は当面はオンライン授業になるよう。おそらく現場はかなり混乱するでしょうが、自宅で学習できるシステムが構築できたら今後プラスになるのではないかとも思います。

学校の授業だけでなく、仕事もリモートでできるといろんな可能性が広がりますよね。
例えば、不登校の子供であったり、病気や障害があって普通に学校に通うことが難しい子供であったり、子育てしながら介護をしながら病気の治療しながら仕事をしたいという人であったり。新しい学び方や働き方が広がれば、より多様な生き方が可能になるんじゃないでしょうか。
 
なんてことを考えていたら、こんな記事に出会いました。
 
記事を読んで、以前抗がん剤治療をしていた時の事を思い出しました。薬の副作用でとにかく体が痛くて、ひどい時は起きてても寝てても何をしていても全身が疼く。痛みのピークが過ぎた後でも、とにかく体が重たくて普通に歩いたり階段を登ったりするのも一苦労でした。当時はまだエレベーターやエスカレーターの設置されていない駅も多くて、いつもなら何とも思わなかった階段が、ものすごく高くそびえ立って感じたものでした。そして「お年寄りや足の不自由な人はこんな気持ちなんだろうなぁ」としみじみと思ったのでした。
 
今、これまで当たり前だったものがもはや当たり前ではなくなり、自由が制限される生活を強いられ、ストレスの溜まることも多いだろうと思います。でも考えてみれば、コロナのあるなしに関わらず、そういった暮らしを余儀なくされている人もいたわけです。たくさんの命が失われ、それもあっけなく失われ、大切な人との別れが突然訪れる。でも実は、コロナがあってもなくても、人は皆、いつも死と隣り合わせで生きているのです。これまで当たり前に思っていた日常が、実はちっとも当たり前じゃない。
 
外出自粛したり行動を制限されたりという状況がしばらく続くことになると思います。しばらく我慢しようと言っても、「しばらく」がいつまで続くのかがわからない。ならば、「我慢」よりも「工夫」して、与えられた条件のもとで少しでも快適に暮らしていく術を見つけていく方がいい。そしたら、コロナが収束した後にこれまで以上に豊かな暮らしが待っているかも?なんて考えるのは楽観的すぎるでしょうか。でも、文句ばっかり言ってても仕方ないので、貴重な経験と考えて、今できることをしていく方が前向きですね。
 
どんな時にも何かしら学ぶことがあると思うんで、未来につなげていけるような何かを掴みとっていきたいもの。そしてこの機会に気づくこと、学ぶこと、変わったことを、一時だけのものとして終わらせず、コロナ収束後にも良い形で残していけたらなぁと思うのです。世の中には色んな事情を抱えて生きている人がたくさんいる。いわゆる「普通」から外れた人たちが、排除されるのではなく、それぞれに自分らしさを生かしながら生きていける世の中になればいいのになと願います。